2010年04月13日

危機を煽って法を変える

最近、児童虐待のニュースが多い。
児童虐待そのものは以前からあったと思うのだけれど、
その意味を社会が気付いて、危機感が煽られている感じがする。
虐待親に対する社会的な憎悪(というかそれを煽るやり方)は、
電車の中刷り広告を一瞥すればすぐにわかるのだけれど、
テレビでもそういう報道の仕方がされているのだろうか。
テレビがないからよくわからない。
法律ができるときは、ストーカーにしろDVにしろ
モンスターのような加害者像が作られ、
危機を煽って世論が動くという構図は一種パターン化されている。
今は、親権制限についての児童虐待防止法の議論がなされているわけだけれど、
親権制限はDV防止法の保護命令と同じで
安全確保のための危機介入の手段であって、
そのことをもってただちに加害者を処罰する類のものではない。
親子の引き離しは緊急的な介入なわけで、懲罰の手段ではない。
加害行為にはそれなりの責任は必要なわけだけれど。

なんだか、危機を煽られると、
そんな親には子どもを見る資格はないと
短絡的になりそうで恐ろしい。

一方で、面会交流で子どもが死ぬということはない。
危機がないから、法律は後回しだし、議論にも情緒的な響きがつきまとう。
実際には、会えなくて刃傷沙汰になったりするケースや、
自殺したりする親は別に珍しくもないし、
連れ去りについての誘拐事件はニュースになっていないだけで
日常的に起きているから、それは問題を認識するかどうかだけなわけだ。

感情というレベルでは、離婚の問題はたしかに扱いづらい。
今日、外国人当事者に、日本では「敵討ち」というのが決まりで
あったのだと説明したら、びっくりしていた。
当事者同士の応報感情は、そういう形で吐き出すということを
法で定めるという、感情なんだからしょうがない、
あんたたちの問題でしょ、手を煩わせるなというお上の側の意思を感じてしまう。

関係を切るということはある部分では必要なのだけれど、
この関係性の希薄な時代、緊急介入のための法律を
応報的な感情で運用して、もちろんすくわれる人はいるだろうけれど、
それだけで物事が解決するわけでもない。

だけど、冷静な議論を、って言っても、
じゃあ、法律なんか変えなくってもいいでしょってなるわけだから、
それはそれでいろいろ難しいわけだ。(宗像)
posted by kネット君 at 21:36| 東京 ☀| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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