2010年05月13日

離れて暮らす親の気持ちを伝える会

「離れて暮らす親たちの気持ちを伝える会」
がブログをアップしました。
今後、週刊で別居親の体験談を紹介する予定だそうです。


http://ameblo.jp/hanareteoya/
posted by kネット君 at 15:14| 東京 | Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毎日新聞連載

毎日新聞に連載記事が出ていました。
最近、いろんなところでいろいろ言ってて、
全部が把握しきれない。

ちなみに、この連載中、共同親権に抵抗する側の理由というのが出ていて、
別れた夫とかかわりたくないからというのが出ていた。
もちろん、別れた相手と関わりたくないのは同居親だけでなく
別居親も同じで、そのことについて利害は一致するはずなのだけれど、
いっしょに共同親権のために交流施設や第三者の関与を求めていこう
とはなかなかならない。

同居親も不愉快かも知れないけれど、
別居親も不愉快なので、それは同じですよと。
子どもをとられるかもしれないとかいう理由もあるのだけれど
そういう場合は、親どうしの葛藤のはざまに
子どもを立たせているわけだから
そもそも子どもは手元に預かるべきじゃなくって
施設にあずけて、それぞれ面会交流すればいいんです。

日本には面会施設がないから、しないんだったら、
そもそも親子は会えなくってもしょうがないと言っているのと同じになる。
DV法作るときに、シェルターないからできないとは言わなかったでしょうから。
児童相談所や子ども家庭支援センター、ファミリーサポートサービスを
利用することで、ほとんどがカバーできるでしょう。

ちなみに、父親の子育てが貧困なのはたしかにそうですが
それを理由に会わせないのであれば、
そもそも、子育てが問題ではなかったと言っているようなものです。
これもできてないからやらなくていいんじゃなくって
できないならできるようにどうしていくかと考えるべきです。

面会を増やして欲しいという要求は普通あるのですが
それは、月に1回とか取り決めが限定的だから
別居親が満足しないことが多いわけです。
そもそも増加の要望を途中でしないといけないような
取り決めになるから揉めるネタを増やすし、
子育てしている側への配慮もしにくくなるでしょう。
そんな中で子どもも短い時間で満足しなければ
面会が苦痛にもなるでしょうし、途絶えることにもなる。
不自由な面会交流がもめるネタを増やします。

養育費を国が取り立てることは必要でしょうが、
その場合は、養育費は福祉としての子どもの生活保障ということになり、
それ以上は、任意での加算、あるいは公費による助成になるでしょう。
面会時間が5対5の完全な交代居住の場合は
アメリカなどでは養育費は発生ないこともあります。(宗像)



質問なるほドリ:離婚したら親権ってどうなるの?=回答・反橋希美
http://mainichi.jp/select/wadai/naruhodori/news/20100510ddm003070125000c.html

親子が別れる時:離婚を考える/1 「会いたい」父悲痛
http://mainichi.jp/life/housing/archive/news/2010/05/20100510ddm013100174000c.html

親子が別れる時:離婚を考える/2 「会わせたくない」事情
http://mainichi.jp/life/housing/archive/news/2010/05/20100511ddm013100166000c.html

親子が別れる時:離婚を考える/3 養育費が面会に影響
http://mainichi.jp/life/housing/archive/news/2010/05/20100512ddm013100104000c.html

親子が別れる時:離婚を考える/4 子どもの声、聞いて
http://mainichi.jp/life/today/news/20100513ddm013100139000c.html
posted by kネット君 at 13:21| 東京 ☀| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

第3次男女共同参画基本計画策定

第三次男女共同参画基本計画策定のパブコメで
今日までが締切みたいなので、
みんなやってみて。
一言でも意見みたい。


■意見募集対象
「第3次男女共同参画基本計画策定に向けて(中間整理)」
以下のページよりPDFファイルをダウンロードできます。
http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/kihon/sanjikeikaku/chukanseiri/index.htm
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■意見募集期間(意見募集開始日及び終了日)
平成22年4月16日(金)〜平成22年5月12日(水)

■意見の提出方法及び提出先
専用メールフォーム、郵送、ファクスのいずれかにより、
所定
の様式で提出をお願い致します。
詳細は、以下のページをご確認ください。(専用メールフォームも
以下からアクセスしてください。)
http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/kihon/sanjikeikaku/ikenboshu.html



私たちは離婚後、子どもと離れて暮らす親のグループです。
特に、男性のみの会ではありませんが、離婚後親権を持つのが女性が多いため、
男性の会員が過半数を占めています。
日々、離婚や子どもとの引き離しに悩む親たちの相談を受け付けています。
私たちのグループの中には、離婚や別居を契機に子どもと会えなくなったものが多く、
特に、婚姻中に、子どもの世話をしていた父親(別居親が父親の場合)、
つまり子煩悩な父親ほど子どもと引き離される精神的なダメージは大きくなっています。
逆に、育児を積極的に担っていた親ほど、親権争いになった場合に有利になるので、
子どもを突然連れ去られ、子どもに会えないままに家裁にかかり、
そのまま会えなくなってしまう事例が多々見られます。
女性が引き離される当事者になることも珍しくありません。
また、近年では、離婚と親子の引き離しによる子どもへの影響も研究が進み、
諸外国では、その成果を取り入れつつ、共同親権・共同養育が実現していきました。
男女共同参画が曲がりなりにもすすみ、育児を男性が担うことが多くなり、
親どうしが別れた後も、ともに子育てにかかわりたいという男性も増えてきています。
婚姻中に育児をしてきたのに、別れたとたんに子どもとの関係が絶たれるのであれば、
そういった父親が納得しないばかりか、
途中ではしごを下ろされた男性たちが、男女共同参画に
不信の目を持つことも当然あるでしょう。
現在、離婚後の単独親権制度のもと、親権を失った親は、
子どもに会う制度的な保障がありません。
また、子どもに会わせるという約束のもとに離婚に応じ、
そのまま子どもに会えなくなるケースも見られます。
養育費を払っていても、面会は実現しないこともあるため、
養育費を払わなくなり、そのまま親子関係が絶たれることもあります。
離婚後にも子どもの養育に関われる制度的な保障という意味での共同親権が実現しなければ、
片方の親は破綻の事実を受け入れることもできにくくなります。そのことで親どうしの葛藤が
長引けば、その後の子どもの養育を親どうし協調してやっていくこともできなくなります。
また、親どうしの関係がたとえお互いに非関与的であっても
受け渡しのみ第三者の仲介が入れば、離婚後も共同で子育てすることは可能です。
こういった点が理解されていないため、離婚したのに共同で子育てなど無理だろう
という先入観のもと、結局は子どもを引き受けた親のみに育児負担が行く結果にも
なっています。子どもと離れて暮らす母親への視線も厳しくなります。
また、離婚前後にかかわらず、子育ての責任は親だけに担わされがちです。
他人の手をわずらわせつつ、離婚後の共同養育があたりまえにできる社会を作っていくことは、
一人で抱え込まなくてもいい子育てのあり方を認めていくことにもなります。
共同養育という子育てのあり方を広めることによって、
離婚後も子どもが両方の親から愛情を受ける環境を作っていって欲しいと思います。
また、離婚によって引き離される親たちの苦悩をご理解の上、
共同親権・共同養育の法制化を推し進め、面会交流についての行政支援を
積極的に進めていただきたいと思います。
posted by kネット君 at 14:03| 東京 🌁| Comment(0) | kネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

弁護士たちの主張

朝日新聞6月7日に「国際離婚 子の連れ去り」という記事が出ていて、
弁護士の山田由紀子さんが、いろいろと書いている。

ぼくは国家間の子の連れ去りについては、
正直、国際離婚破綻後連れ帰りの同居親の主張は苦しいと思っている。
それは単に異国で孤立しているということだけじゃなくって、
彼女たちを擁護するなら、条約の加盟に慎重にという主張ではなく、
海外の法律がおかしいと主張すべきだろうと思うのだ。

誘拐犯として母が逮捕されるのがおかしいと思うなら、
アメリカで、連れ去りをされると逮捕されるという法律がおかしいと
アメリカ政府に申し入れるべきだし、
DV被害者保護ができなくなるというなら、
アメリカのDV施策を批判すべきでしょう。
普通自国民保護といったとき、たとえば
麻薬の輸送で日本人が中国で死刑されたとき
中国政府に申し入れるでしょう。
それをせずに、日本の習慣とアメリカの習慣の違いを挙げ、
条約加盟に慎重にという、この弁護士の主張はおかしいと思う。
日本政府にも、アメリカの監護法制とDV施策はおかしいから変えるように
伝えてくれって圧力をかければいいでしょう。
ぜひ、人権保護の観点からやってください。どうしてしないんでしょうか。

選択的共同親権と面会権の制約が現在の弁護士会の見解として
最近は妥協できるところかなって思うのだけれど、
これについては、親権がなくなった場合、子どもの養育にかかわれなくなる
別居親の権利や義務についての配慮が欠けている点で現在とはあまり変わらない。
たとえば、この弁護士は
「弁護士として30年、離婚の争いを見てきて、
共同親権でうまくいくと思ったカップルはほとんどなかった」
と言っていて、それはそうだろうと思うよ。
弁護士は、法律を使って法廷で争うのが仕事であって、
対立をあおって、依頼人の利益を最大限に引き出す。
共同親権ができるカップルは裁判所に来ないかもしれない。
裁判所に来れば、法律家たちに振り回される。
恐怖心だってあおるし、金が取れるなら
子どもとの面会を取引材料にすることなんてよくある。

人質司法をしているのは弁護士だしね。

別居親の支援をしていると、
「ああ、また弁護士にアドバイスされたのね」
という感想を持つ案件が多すぎるのだ。
ぼくに言わせると、
「弁護士がついて、共同養育が実現できるようになったカップルはほとんどない」
というのが感想だ。
見ている現実が違うのだろう。
最近、選択的共同親権というときには
夫婦間に葛藤があれば、別居親の権利など無視しても
かまわないというように聞こえて、あまりいい気分がしない。

ちなみに、この弁護士は子どもの権利委員会の元委員のようで、
「保護を求めて帰国した日本人親子を、孤立と苦境の待ち受ける
外国に突き返すことは、子どもの権利条約がうたう「子どもの最善の利益」
を損なうことになる」
と結んでいるが、海外に残された外国人父親の苦境には配慮がない。
また、日本で実家に子どもを連れ去られ、会えなくなった日本人父親にも配慮がない。
また、日本で、父親に子どもを確保され、会えなくなった母親への配慮もない。
そして、日本に連れて帰られて父親に会わせてもらえなくなった子どもへの配慮もない。
日本から子どもを連れ去られたとき、海外では、日本では子どもが親に会えなくなるから
「脱出に成功した」という論調でとらえられることもあるということを知っているだろうか。

こういったさまざまな論点をスキップして選択的共同親権と言っているとしたら、
それは同居親の会わせない「権利」を擁護しているととらえられても仕方が
ないのではないだろうか。
それで、「子どもの最善の利益」と言えば、
会わせないのが許されると考えていたりはしないよねえ。
まあ、日本の裁判所なら許されるけどね。

もちろん、こういった問題の多くが、
離婚時に一方の親の親権を剥奪する法律構造と、
親権を剥奪された親の子どもの養育の権利と責任の重要性など
あまり考えてきた形跡のない、弁護士たちの無自覚が引き起こしたことであることが
わかっているなら、選択的共同親権の主張も納得できようが、とてもそうは思えません。
もしわかっているなら、日弁連もとうの昔に共同親権って言ってきたでしょうからね。
日弁連、いつになったら共同親権って言うんでしょうね。
10年ぐらい議論してきたから、あと10年後ぐらい。

別居親の運動に促され遅まきながら主張を始めたその内容がこれかと思うと、
別居親の権利など、本当になくっていいと思ってきた人たちのその程度が推し量れる。(宗像)
posted by kネット君 at 20:04| 東京 ☀| Comment(2) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

相談続く

兄弟を分ける

昨日複数の別居親から
兄弟を分けられて会えなくなった事例を聞く。
当然、相手は会わせないし会いに来ない。
こういう場合は、共同親権なんだから権利があるって主張しても
あまり意味がなくって、共同養育義務を相手が果たしてないって
道筋で話をすすめるしかない。
弁護士もこういうときは手詰まりになっている場合で、
一種、これまでの面会権があるでしょうって主張では
解けない問題になっているわけだ。
最近の同居親側の主張も、この延長戦の論理が多くって、
やっぱり人の思考ってなかなか逆から考えるって難しい。

どういうつもりで運動をするか

ってことを、
最初運動を始めたときに聞かれたけれど、
なんでいちいちそんなこと答えんといけんのかっていう気分にはなる。
ぼくがどうなろうと、あなたが運動を続ければ、それでいいだけの話で
ぼくの動機がどうあろうと関係ないはずなのだ。
運動を離れていくということがあったにしても、
それはその人の問題が解決したってことだから人がとやかく言うことじゃないし、
ぼくも人からとやかく言われたくない。
動機は自由だし、あなたの人生はぼくの人生じゃないから当然でしょう。
「そんなやりかたしてると、一人になっちゃうよ」
とぼくと意見が対立するときにアドバイスした人もいて、
それを端で聞いていたぼくの知り合いが、
「それは違う。あなたが一人にしないって思えば
そうはならないのだから」って言っていたことがある。

意見が違うときは、そういうこと言われるのは
パターン化しているので、最近はいちいち反論もしない。

8年ぶり

にもまちは動いているのだけれど、国立のまちは静かだった。
みんな出払っているときにはこのまちが好きになれる。
8年前、途中で取材が中断した方に
借りっぱなしになっている資料を郵送で返却したら
電話に留守電が入っていた。
怒っているわけでもなさそうで、
ひとまずよかったのだけれど、
そのきっかけも、共通の知人が亡くなったということが
新聞記事になっていたということだった。
当時は、まだ書き物の仕事も不得要領で
いろいろ気後れから仕事が進まなかったりしていたうちに
別のことやらいろいろ忙しくなって、やりかけのままに
8年間本棚に資料がつんだままだった。
ちょっとは物事が先に進んでいる証拠でしょうか。(宗像)
posted by kネット君 at 20:24| 東京 ☔| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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