2010年05月07日

相談続く

兄弟を分ける

昨日複数の別居親から
兄弟を分けられて会えなくなった事例を聞く。
当然、相手は会わせないし会いに来ない。
こういう場合は、共同親権なんだから権利があるって主張しても
あまり意味がなくって、共同養育義務を相手が果たしてないって
道筋で話をすすめるしかない。
弁護士もこういうときは手詰まりになっている場合で、
一種、これまでの面会権があるでしょうって主張では
解けない問題になっているわけだ。
最近の同居親側の主張も、この延長戦の論理が多くって、
やっぱり人の思考ってなかなか逆から考えるって難しい。

どういうつもりで運動をするか

ってことを、
最初運動を始めたときに聞かれたけれど、
なんでいちいちそんなこと答えんといけんのかっていう気分にはなる。
ぼくがどうなろうと、あなたが運動を続ければ、それでいいだけの話で
ぼくの動機がどうあろうと関係ないはずなのだ。
運動を離れていくということがあったにしても、
それはその人の問題が解決したってことだから人がとやかく言うことじゃないし、
ぼくも人からとやかく言われたくない。
動機は自由だし、あなたの人生はぼくの人生じゃないから当然でしょう。
「そんなやりかたしてると、一人になっちゃうよ」
とぼくと意見が対立するときにアドバイスした人もいて、
それを端で聞いていたぼくの知り合いが、
「それは違う。あなたが一人にしないって思えば
そうはならないのだから」って言っていたことがある。

意見が違うときは、そういうこと言われるのは
パターン化しているので、最近はいちいち反論もしない。

8年ぶり

にもまちは動いているのだけれど、国立のまちは静かだった。
みんな出払っているときにはこのまちが好きになれる。
8年前、途中で取材が中断した方に
借りっぱなしになっている資料を郵送で返却したら
電話に留守電が入っていた。
怒っているわけでもなさそうで、
ひとまずよかったのだけれど、
そのきっかけも、共通の知人が亡くなったということが
新聞記事になっていたということだった。
当時は、まだ書き物の仕事も不得要領で
いろいろ気後れから仕事が進まなかったりしていたうちに
別のことやらいろいろ忙しくなって、やりかけのままに
8年間本棚に資料がつんだままだった。
ちょっとは物事が先に進んでいる証拠でしょうか。(宗像)
posted by kネット君 at 20:24| 東京 ☔| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
knet_logo_color[1].PNG
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。