2010年08月03日

子捨てを奨励する日本の文化

児童虐待

大阪で起きた養育放棄による虐待死の事件が連日報道されている。
こういう場合、行政の対応のまずさが指摘され、結果、
行政介入を推進する法改正の強化が世論としてわき起こり、
マスコミがその先鞭をつける。
現在の親権の一部・一時停止の法制審議会の議論に
影響を与えるだろう。

他方、事件報道を見ても、
離婚した父親がどうしているのかはわからない。
親責任は共同養育責任なので、
「シングル」マザーの養育放棄だけを批判するのは一面的だ。
父親の関与がどうだったのかは報道からはわからないので
なんとも言えないが、「シングルマザー」と呼ばれる地位を
母親が社会的に与えられていたこと、そのものを問う視点も必要だろう。

こういうのは別れた父親の責任は養育費というだけの文脈からははみ出ている。

子捨てを奨励する日本文化

さて、離婚後共同養育の議論をする場合、
原則交流に賛成か反対か問うて、
反対という人はあまりいないのだけれど慎重な人は多くいる。
その議論の間に、毎日毎日親子が引き離されているのだけれど
それは日本の文化なので仕方がないということになる。
主に母親である監護親の安定を乱さない範囲で、となる。
これが日本の文化なのだという。
監護親が不安です、というだけで引き離しが容認される。
別居親はたしかめようがない。
いったい、この理屈でどれだけ多くの親たちが
子捨てを自ら進んで、あるいは強いられているだろうか。
ハーグ条約で国内に子どもを連れ去った人たちのことが話題になるが
別にこんなのは国際問題でも何でもなく、
国内で引き離されて、東京から九州や北海道に子どもを連れ去られる人は多くいる。
暴力から逃げる人は法の手続きをくぐるのだけれど、
そうしなくても、犯罪にならないという理由で
子どもを連れ去って会わせないという人は多い。
理由は、日本の文化だから許される、というのだ。

呼び方はいろいろだけれど、誘拐や人質取引、身代金請求などを伴う
子捨て文化を、「日本の文化」と呼ぶことは否定しない。
問題は、それが「誇るべき文化」かどうかということなんじゃない。

ちなみに、日本の弁護士たちも、
この「日本の文化」を理由に、引き離しを正当化し
たいして根拠のない単独親権を守ろうとする。
なんだか、子捨てを奨励する「日本の文化」のためには
単独親権という明治民法の落とし物が必要なようだ。
選択的共同親権にしたって、親どうしがもめたら
親権を奪えるんだから今とたいしてかわらない。

最悪、監護親の安定が、単なる拒否感情であれば、
拒否感情を演出することで、相手の養育への関与を否定することが可能で、
だから、約束を守ってくれないからと裁判所に行くとそれを理由に引き離される。
そうやって、会えなくなった親たちがkネットにやってくる。
裁判所もまた、子捨てを奨励する日本文化の伝統を墨守する場所である。

親権の一部停止・部分停止、連れ子養子の禁止

国連子どもの権利委員会は、ぼくらが出した引き離しの実態についての
レポートについて反応はしなかったけれど、連れ子養子が問題であることについては
勧告している。養子縁組には裁判所の関与が必要だというのだ。
これは単独親権ゆえの問題で、結局、監護家庭の安定が子どもにとってよい
という都市伝説で、こういった子どもをもの扱いする伝統文化がむしろ奨励される。

親権の一部停止・部分停止の議論も、
別居親についての視点がなければ、
親の知らない間に、子どもが里親に出されているなんて論理的にはありうる。
もちろん、外見的には、監護家庭は安定しているのかもしれない。

面会交流の議論ではなく、
親権と養育の話をしなければ、問題はこじれるばかりだ。(宗像)
posted by kネット君 at 12:26| 東京 ☀| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
knet_logo_color[1].PNG
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。