2011年05月29日

明文化の効果

明文化されてどうなる

面会交流が明文化されてどうなるのかというのをみんな気にしているようだ。
評論家は、国会中継や決議に至るまでの内幕をあれこれ出し合って、
いいとか悪いとか言う。
活動家は質疑や趣旨で使えるところがないか探す。

法というのは世間の基準、つまり目安なので
明文化されたということは、無視していいという段階から、
そういう問題がありますよと認知させたということだ。
つまり、マイナスが0になった。
これをプラスにしていくのに、
法律家や専門家がどうこうできるわけではなく、
できるのは別居親だけだ。
弁護士は法的に使えないものは意味がないとみなす。
そういう人たちはほっといて、
あらゆるところで言いましょう。民法明文化。

どうやったら会えるのか?

なんてことをよくきかれる。
技術的なことはいくつかいうことはある。
状況を整理して伝えることもできる。
「でも、そしたら相手方が・・・・・・」
と続けば、それはあなたの判断だから
こちらがどうこう考えを押しつけることはできない。

「でもね、あなたが会いたいとか、取り戻したいとか決めれば、
そうなるんですよ。
それが一週間後か一年後か、十年後かそれはわかりません。
あなたが決めたことに対して、
相手や周りはあれこれ言うし、邪魔をしてくることもあるでしょう。
でもそれはあなたの決めたことについてどうこうしているだけで
それを振り払ったり、無視したり、すればいいだけのことです。
そうすれば、相手に振り回されるなんてことはないでしょう。
一時的には後退することもあるかもしれませんけど、
あなたがそうすると決めているから、そうなるんです。
たとえ身柄は取り返せなくっても、心は取り返せる」

だいたい、そんな親に会うのに妨害し続ける人を
子どもが心のよりどころにするかどうかは
考えればすぐにわかることだ。

徒党を組め


親子ネットを最初につくったときには、
圧力団体として位置づけていたので、
相互支援のための組合みたいなもんと思っていた。
裁判所であれ、学校であれ、団体という社会の目が入れば、
周囲の見方は変わってくるものだ。

たとえば、いじめも不登校も
最初は病気とか、その人個人の問題として片付けられて
学校もかかわろうとはしてこなかった。
ところが、それが社会問題と認識されてくれば、
学校もまたそういうものとして扱って、対応しなければ
社会的な指弾を受けるようになっていった。
不登校の問題には、当事者となった親たちの運動があったわけだ。
障害者の普通学級への出席も最初は理解されなかった。
団体というのは手段であって、でも仲間でやっているわけだから
お互い様というのが基本にある。

組合や解放同盟みたいに大勢で押しかけてもいいけど
まあ、そういう団体があるんですよねって、名刺もって
いっしょに話をしにいくってだけで効果はある。

ところが団体を作ると、それに権威を持たせたい人が必ず出てくるわけど、
学会みたいにしたい人と話が合わなくて、組合路線のぼくは会を割った。
会に権威を持たせても、権威が好きな人が集まるだけで、
そんなんで、裁判所やら現在の法を支えている人たちに物が言えるわけもない。

というわけで、
全国の会えない親たちよ、

kネットのもとに結集せよ!

え、今風じゃなくていやだって?

でもね。
今の反原発ジャーナリストと同じで、
日本が共同親権になったときには
むちゃくちゃ注目される・・・・・・かもね。
posted by kネット君 at 22:51| 東京 ☔| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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