2011年08月26日

あちこちの当事者と

やりとりをする。

日弁連の意見書に、水を漏らさぬ論理で反論した方がいて、
その方と連絡をとって意見交換したりした。
最近は横のつながりをいろいろととって運動を再構築する
ときかなあと思う。
いろんな人が当事者として登場してくる。
長く続けるのが運動では味噌だとは思うけれど、
自分の言葉でしゃべられる人がたくさん出てくることが重要だと思う。

中立性

ハーグ条約について賛成、反対、いろいろ議論がある。
反対する側の議論を行政の側が行うことについて、
どうなんだという意見があった。
行政は中立だから、それはおかしいという。

一方で、ぼく自身は、行政というのは意見の多様性を確保するのが
仕事なのだから、賛成にしろ、反対にしろ、行政が議論のアリーナを
提供すること自体は重要なことだと思う。
文句があるなら、きちんと出席して議論すればいいだけの話だ。
もしくは、自分たちも行政の後援をとって、賛成の議論をする。

国立市でも、2年ほど前に国立市主催の後援を
国立のグループでもちかけてやったことがあった。
そのときは、市報で通知されたこともあって
同居親も別居親もたくさんの人が来て、
いろんな意見が出た。
ちなみに、その年の国立市のもう一つの市民共同事業は
シングルマザーのグループが主催したものだった。

最近は、東京の別居親の運動はまったくこういうのやらなくなった。

日本の行政は、どちらかというと
声の大きいほうに従うという傾向が強いので、
人権問題やらがいつまでたっても手が打たれないということになる。
そうではなくて、いろんな意見の多様性を確保して、
お互いの理解が進むようにしていくのが行政の役目だとするならば、
中立性は、どっちにもつかなくて、どっちの後援もしないということではなくて
どっちの後援もして、矛盾があったら議論のテーブルを提供するということになる。

この間、新聞読んでたら、
日本の原発教育は、地震前は、安全ですって言っていたのが、
地震後に大幅に書き換えられるということになったという記事があった。
対比でドイツの原発教育が紹介されていた。
ドイツでは、賛成、反対に生徒を分けて討論させて
数の少ない方に、先生がついて議論を進めるという。
なるほどねって。

DV利権とか、ビジテーション利権とかいうのも
似たような議論だ。
自分たちが気に入らない人たちが、予算を確保することがいやならば
自分たちがそれだけの実績をつくって予算を確保すればいいことだ。
そもそも、それを利権と呼ぶか、雇用先が増えてよかったねと思うかは、
人によって違うわけで、行政なんか事業体でもあるわけだから、
きちんと、行政に自分たちの考える仕組みを組み込んでいくことが
できなければ、運動なんて絵に描いた餅なわけだ。


posted by kネット君 at 21:23| 東京 ☔| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

タイムリー

大学

午前中、頼まれていたハーグ条約関連の資料をコピーに
近所の大学に行った。
これまで市民としていちいち入り口で申請書を書いて入っていて
いやがられていたのだけれど、こういう機会が増えるだろうかと、
しょうがないから、卒業生としてカードを作った。
卒業してから10年以上たつけど、基本的に大学嫌いなので、
カードも持ちたくなかったのだ。

教務課に行って卒業した証明印をもらってきてくださいと言われて
行ってみると、なんだか大学も近代化されているというか
戦前に建てられたたてものの中がえらいきれいに改装されていてびっくり。

あんまり長居はしたくないので、さっさとコピーして出てきた。
とはいえ、ここの大学の図書館が便利なのは事実。

インタビュー

記事にしようと思って、史さんにスペースFでインタビューした。
Fの当番さんには、入金についての苦情を言われ、相変わらず
運動ってつきあいだよね、って思う。

一通り経過は知っていたものだけれど、
あらためて史さんが子どもと会ったときのこととかを
詳しく聞いた。

まあ、いいことだから、面会交流支援とかといっしょに
知り合いの記者に記事にしてもらったらどうですか、
とか言ってみた。

同居親の側

電話が入って、同居親の側が面会交流についてどうすればいいのかっていう
相談だった。ときどきそういう問い合わせがある。
別居親と同居親の感情的な対立をつくりたがる別居親もいるのだけれど、
権力の側から見れば、そうなってくれるのは「小躍りして喜ぶ」事態だろうねえ。
というのは、現状の混乱は権力の側のサボタージュじゃなくて、
親どうしがわがままだからだって説明がしやすいんだから。
それで進まなくなって、同居親の側は困らない。

とはいえ、実際はそうではなくて
協議離婚で相手側から面会を求められれば、
自力で対応し続けるのはそれはそれでしんどい思いがする。
東京の方ではなかったので、知り合いの団体を紹介した。

タイムリー


仕事で行った山の雑誌は新聞社とも同居しているので、
仕事を終えて、エレベーターに出ると、「宗像さん」と
声をかけられた。見れば古い知り合いの記者さんだった。
早速、最近の話題をいろいろ話した。
朝日新聞でも、一昨日記事になって、
論調自体は、会いに行く側がエゴというものが
なくなってきたので、だいぶ進んだかなと思う。

じゃあ、ここらでぼくらもがんばんないとね。
posted by kネット君 at 20:20| 東京 ☀| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月20日

ぼろぼろと

ファイルを買いに

あさから近所のホームセンターに行った。

家の仕事机の下にトートバックに詰めっぱなしの書類が
溢れていた。
子どもと会うための相手方とのやりとりや、つくった書面、
子どもに出した手紙なんかをとりあえずつっこんでいたのだ。
最初は2007年だから、すでに4年前のものがたまっていて、
ほこりをかぶっていて、整理しないと、今後役立てること
できなくなるよなって、思って一念発起した。

ホームセンターで8センチくらいの厚いファイルを
4つ買ってくる。あと同じくらいの厚さの手紙フォルダも買う。
ついでに、穴空けパンチの大きなやつも買った。

すぐにすむだろうと思った作業はかなりたいへん。
調停前の相手との交渉、調停、審判、抗告、
子どもに毎週送った手紙。
4年前の子どもたちはあどけないすがたで、
2年半のブランクに積み上がったものははがきのコピーだった。
結局、買ってきたファイルは全部いっぱいになった。

父子家庭をしていたころのエッセイが、
原稿用紙に活字になりもせずたまっている。
人身保護を出されたときの、相手方とのやりとり、
書面をひらくたびに、当時のことが思い出され、
ぼろぼろと大粒の涙が頬をこぼれて止まらない。
なんか、最近、そういう気持ちになることって少なかったのだけれど、
引き離された当初って、今日みたいな気持ちに毎日なっていた。

新しく電話かけてくる人たちって、今日の自分みたいな状況で
だれかに話したくって、聞いて欲しくって、電話してくるんだろうなって思った。

ちょっといたたまれなくなって自転車に乗って、
知り合いのところとか行ったり、喫茶店に行ったり。

買い戻し


あのままうっちゃらかしていたら泣き寝入りだけれど、
そうじゃなければ、買い戻しなわけだ。

昨日も今日も、所用で何人かの当事者の人と話す。
親権変更が裁判で決まったけど、子どもがまだ戻ってこない人、
数年ぶりに、海外にいるお子さんから手紙が来た人、
粘り強い交渉で、子どもとの面会につなげた人、
いったい、どの辺が分かれ目なんだろうねって。

歩けば着く。歩かなければ着かない。明日の天気はわからない。

posted by kネット君 at 22:05| 東京 ☁| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月19日

雨の東京

猛暑の中、久しぶりに雨が降り、
今日はクーラーなしでもしのぎやすかった。

今日まで一週間、原稿を書いて過ごしていた。
現金なもので、お金になる原稿に集中している間、
お金にならない文章は、あまりというかほとんど
書こうという意欲がなくなる。ブログも同じだ。

とはいえ、せっせと文章をこしらえたので、
編集長が1ページ増やしてくれた。

このところ、相談の問い合わせは窓口を分けたので、
あまりぼくのところで受けることはなくなったのだけれど
活動についての問い合わせはちょくちょくある。
何もしていなかったわけではなくって、
けっこう一人でせこせこと作業をしていた。
先週、それも完成。今週は別の1本を完成させようと思う。

きょうは、以前からときどき電話が来ていた人から
1件相談。
もう1件電話が入って、これは弁護士を紹介した方だった。
それぞれに動きがある。

ハーグ条約が話題になっているせいか国際離婚がらみがちょこちょこくる。
日本が条約に加盟していないために、他国で面会交流するにおいて
監視がついたりすごくやりにくくなっているという話は聞く。
アメリカでは、日本人だけ監護権がとれなくなっているという。

ほんとに日本人を見たら誘拐犯だと思え、
というのが国際的にはスタンダードになっているのだろう。
おそろしい。

雨が降り続く。
山の雑誌の編集部に行って、

「黒い雨ですよね。
放射性物質とか言わないで、死の灰って言えばわかりやすいのに。
あと、原子力発電じゃなくって、核発電って言うべきだとぼくは
思うんですよねえ」

って言ったら、笑ってくれた。


posted by kネット君 at 21:50| 東京 ☔| Comment(1) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

面会交流に協力は前提仮説

裁判所宛の意見書で
タイトルの仮説について以下のような反論をしてみた
ほかでもどんどん使っていって
日本の面会交流を近代化しましょう。


特に法曹関係者の間では、面会交流については、最低限の協力関係がその前提との仮説があります。しかし多くのケースを見た上で、このような仮説は、現実の面会交流に即したものではありません。
 第一に、特段別居親の側が協力の意図を示していたとしても、それが同居親の側の感情に沿わない内容であれば、協力関係を築くことはできず、結局は同居親の側の意向で面会交流が途絶えてしまうということを容認してしまう結果になります。そのことを「子どもの福祉」と呼ぶことには無理があります。
 第二に、関係の難しい第三者どうしの共同作業においては、詳細な契約が通常必要であることは法律家であるなら誰もが知っていることであって、離婚後の養育負担のシェアにおいてだけそのことが当てはまらない理由はありません。協力関係を前提にした面会交流の実施という前提に立った曖昧な合意書の内容で、面会交流がうまくいかなくなるのは、必然的な帰結です。もちろん、詳細な面会交流の取り決めをしたからといって、その通りにならない場合もあるし、柔軟な面会交流に移行していく場合もあるでしょう。しかしトラブルが起こりやすいからこそ、基準としての詳細な取り決めが必要であり、協力関係が取り決めの前提になるというのは、会えなくなってもしかたがないという前提の暴論です。
 第三に、協力関係が面会交流の前提であるという仮説のイメージする面会交流は、子育ての詳細において両者が話し合える関係を想定していますが、話し合いのつかないケースが家裁に持ち込まれるのである以上、家裁でこのような仮説を云々することは家裁の役割放棄でもあります。特に、共同養育の先進国であるアメリカにおいても、実際に育児の詳細においてまで共同決定し協力できるパートナーは多数派ではなく、多くの親が、自分が養育を受け持つ時間だけ、その責任を負う平行養育をしているのが現状です。詳細な契約と十分な養育時間が双方の親に配分されれば、これは日本でも可能であって、むしろ限定的な面会交流の取り決めで双方の養育環境を劣化されることには慎重であるべきです。 
posted by kネット君 at 07:51| 東京 ☀| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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