2011年09月17日

裁判官の心証とか

市役所から督促状が来ていて、
市民税と国民健康保険だった。
最近、医者にかかったので、国民健康保険は払おうかと思う。
傷病手当ぐらい自営業者にもつけよな。

裁判官の心証とか

昨日午前中は相談を受けていた。
調停で、裁判所の職員に対して何を言うべきで言わないほうがいいのかとか
いうのはよく聞く話で、特に理不尽な調停進行がある場合には、
言いたいことがあったとしても、言葉遣いには慎重になる。

たとえば、「先生」とつけることについて
それが敬意だと受け取る人もいるし、
皮肉だと受け取る人もいる。
ので、「先生」とつけることが相手を怒らせないと
いうことには必ずしもならない。
相手に「先生」とつけることが敬意の表現と考えるというのは
上下関係の中での関係性においては間違っていないけれど、
相手が対等性を求める人である場合には、特別扱いということに
なって煩わしく感じることだろう。

ぼくも会社の人とかといっしょに運動する機会が
共同親権運動の場合はときどきあって、
最初のうちは、会の代表になったので
(別にしたくてなったわけでもないけれど)
写真に写るときとか、真ん中に誘導されたりすると
あんまり目立ちたくないという性格もあって
いい気分はしなかった。
けど、そうしたほうは、普通の習慣でそうしていたというのは
わからないでもない。

一方では、「代表なんだから」という名目で
自分がやりたくない雑務を押しつけられたりして、
ばかばかしくなって、今は代表をしていない。

そんなこんなで、
言いたいことがあったら、そう言えばいいし、
ただ、言ったことで失礼がなければそれでいいなじゃないと思うし、
調停委員が失礼だったら、そう言えばいいんじゃないということしか
言いようもない。

日本では、権力に服従することを「大人になる」と表現することが多い。
ので、裁判所や弁護士の権威を認めなかったりすると、
「子ども」と言われて、彼らに酷い目にあっているはずの
当の当事者に、批判されるという、ことになりかねない。
いったい、何と闘っているのか、そんなに裁判所に従って
いいことあんの、と思ったりもした。

法制化はどうなってんの

ということをときどき聞かれる。
「あなたはどうなると思います」
と聞き返すと、自分の考えを言ってくれる。
「だったらそうなるんじゃないでしょうかね」
と答えてみる。

ときどき知り合いにあちこち聞いて大体の様子がわからないでもないけれど、
「情報を得るために」とかいって、あちこちにネット上のチャンネルを持っている
人が、ぼくに聞いてきて一喜一憂する現象っていったいなんなんだろう。
だいたい、ネットを通じて手に入れられるような情報はそこ止まりで、
ないよりましだが、戦略を立てるような情報なら、自分の目で見て
耳で聞いて確かめるしかないではないか、と思いもする。
ひとりでできないことでも、大人数ならできることはある。
でも、他人に運動の参加感を提供するために、
人と会ったりしているわけではない。
知りたかったら、自分で聞いてみるしかないよね。

ネット上に出たマスコミ情報を見て、
ああだろう、こうだろう、とか評論するだけなら
運動でもなんでもないわけだ。

posted by kネット君 at 20:40| 東京 ☁| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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