2009年11月09日

「1日2分の子どもとの交流」

1日2分の子どもとの交流

 

 2ヶ月に1回、2時間の子どもとの面会交流。家裁から送られてきた審判書きにはそうあった。子どもと引き離されて2年裁判所で調停と審判を重ねた結果である。

「会えたからよかったじゃない」

 同じ子どもと引き離された親の中にはそういう人もいる。離婚後、家裁に面会交流の調停を申し立てても、家裁が申し立てを認めることはまれだった。ここ1、2年の時流の変化で、家裁は案件の半分は面会交流を認めるようになったけれど、よくて月に1度2時間程度会えるのはさらにその半分である。ちなみに隔月2時間というと365日分の12時間、一日換算にすると2分にも満たない。親は行商のおじさんじゃないよ。

 子どもたちはすでに彼女の再婚相手の養子に入れられている。彼女が死んでも親権はぼくには来ない。裁判所は「家庭の安定」を「子どもの福祉」として面会交流を制約するけれど、1年前、1度だけ子どもと裁判所で会ったとき、下の子はパッと顔を輝かせていた。どっちが「子どもの福祉」だろうか。

 ある弁護士は、共同監護が珍しくない海外の状況と引き比べ、こういうのを「最小面会」と読んでいる。ぼくは、「犬にエサをやるような面会」として「エサやり面会」と呼んでいる。

 高裁に抗告した。子どもと会うための道のりはもうちょっと遠そう。(宗像充)

(反天皇制運動連絡会機関紙「あにまる」35号2009年11月3日に寄稿)

posted by kネット君 at 16:37| 東京 ☀| Comment(0) | 論文・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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