2011年05月30日

運動がおもしろいのはよくないか

明文化と活動

昨日、明文化してどうなるというようなことを
いろいろ当事者どうしで話していた。
結局は最高裁が認識変えないと、
裁判官の判断も変わんないということを言う人がいた。

「だったら、最高裁に直接言えば。
毎日でもファックス送ればいいじゃない。
それやったの」

って聞いたら、やってなさそうだった。
やってれば一日子どもと会うのが早くなるかもしれないし
一日子どもと過ごす日が長くなるかもしれないのに、
どうしてやらないんだろうねえ、とちょっと不思議。

運動はおもしろいのはよくないのか


国会ロビーで議員にお願いするより、
学校やら裁判所やら現場で文句言って
現状を変えてったほうが結局は法律を変えるのだって近道だと思うよ。
それにね、そのほうがおもしろいでしょう。

って言うと、まるで失言のように言われてちょっと意外だった。

まあ、国会ロビーってお願いだから、
好きな人もいるけど、ぼくはあんまりすきじゃないしおもしろさはほかのものに比べると少ない。
でまあ、おもしろくないからしないというわけでもないけれど、
おもしろくないと続かないというのもわかりはする。

運動をおもしろくしようとすると
なぜか、ひんしゅくを買う。
まるで活動というのは、正しいことだから
真面目でなきゃいけないし、
不真面目でいいかげんなのはよくないという圧力はある。
そうなると、まじめな人しか運動をしないということにもなる。

勝手に活動について思い描いているものを
他人にあてはめようとするので、すれ違いが生じる。

まじめでおもしろくもないことを人がし続けるなんて
思ってたら幻想だと思うのはぼくの意見だ。
それを言っていることが不愉快にさせたなら悪いなあと思うけど
別の人にそれはやってもらうしかない。

法律なんて秩序なわけだから
現状が変わっていないのに
議員に働きかけても現状の範囲内のことしか
決まらないというのがこの3年間の成果ということもできる。
(もっと前からだと10年間だけどね)

だから現場をいろんなところに作って
それが現在の法の枠の範囲にはまらないということになれば
そこに新しい秩序を構築しないといけないということになる。
共同親権は目的ではなく、結果なのだ。

あなたはどうなのよ?

よく、「宗像さん、これからも運動続けるんですか」
って聞かれることがあるけれど、
「まあ、子どもも大きくなるまで時間あるし
10年はやるつもりですけどね」
って一応は答える。

でも聞かれるたびに不思議に思う。

そんな質問、ぼくにしてどうになるというのだ。
ぼくがどうあれ、自分がするって決めれば
活動であれ、なんであれ続くってことなわけだ。
自分にできないことは人にだってできはしない。

ぼくが運動やめたら、子どもに会うのを諦めるのだろうか、
法制化を諦めるのだろうか、
だったら最初から法制化なんか諦めるべきだ。

人はおもしろいところに集まるのであって、
それが運動として見えるということなのだと思いはする。

それなりにこの3年間成果も挙げてはきたけれど
別にぼく一人の力ではないのは当たり前だし、
だったら、ぼくじゃない人だって、
別のやりかたでできることはあるに決まっている。
posted by kネット君 at 23:22| 東京 ☁| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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