2009年11月01日

用語集10「エサやり判決」改題

「エサやり判決」

「犬にエサをやるような」面会交流を取り決める審判のことを言う。
日本では、家裁を経ると、別居親と子どもとの面会交流が月に1度が相場とされ、
年間120日は保障されている諸外国と違って、極端に少ない。
ちなみに関東では月に1度3時間が相場だが関西だと月に1度2時間が相場のようだ。
(月に1度2時間だと、365日分の1日となる。1日間換算だと約4分)
これはたとえば、年に3度というのが、隔月になったり、月1になったり、家裁の面会交流相場が
変動してきた結果のようだが、何の根拠もあるわけではない。
しかし家裁の調停委員は、月に2度の取り決めが当事者どうしで決まりそうになっても、
月に1度に減らしたり指導する場合もある。
審判になると、それが「子どもの福祉」という言葉で正当化される。
もちろん、月に1度は、同居親が拒否的でない場合に可能となることで
月に1度の取り決めがみんながみんなできるわけではない。

「面会謝絶審判」

家裁で面会交流が絶たれる審判を呼ぶ。
最近は、「家裁いいかげんにしろ! Kさん親子の面会謝絶審判を問う会」の活動もあり、
この言葉が流通している。
別居親と子どもとの関係が何の問題もなくても、同居親の不安定によって、
家裁は親子の面会を絶つ場合がある。

「子どもの福祉」

家裁が親子の交流を制限する場合に使う言葉。
面会交流を制限する場合、
子どもが小さかったり、親どうしに葛藤があったり、養子縁組がなされたり、
さまざまな理由を家裁の審判官は上げることがあるが、
最後に水戸黄門の印籠のように、この文言を持ち出して審判書きを終える場合が多い。
何より、面会交流を家裁が推進する立場であるとするなら
制限的に面会交流の決定を出すこと自体が矛盾である。
したがって、同居親が拒否的である場合、その意向を反映して
「会わせてやってんだから、少なくって我慢しろ」
という決定を出すときに、それが「子どもの福祉」だと裁判所は言わざるを得ない。

「別居親は邪魔者」
 
家裁や、子どもに会わせたくない同居親にとって、
子どもに会いたいと主張する別居親の存在は、「邪魔者」そのものである。
2008年には、子どもに会いたいと主張する母親が、父親に殺される事件が起きたが、
これなど「邪魔者は消せ」そのままである。
会わせないということは、会わせない側にも相当の努力を強いることになる。
いずれにしても、関係をクローズドにして「邪魔者」を排除し続けることには無理がある。
しかし面会交流が、「子どもの権利」ではなく、
「子どもの福祉」である以上、こういった排除の論理はまかり通ることになる。

一言:「家裁いいかげんにしとけ!」

「最小面会」

なんか、捨て台詞的で歯切れが悪いので追加しとく。
弁護士の棚瀬孝雄さんが、最近使っている用語。
「ぼくらは、『エサやり面会』って呼んでますよ」
「ぼくは、『最小面会』って呼んでるけどね」
なんて、会話を交わしたことがある。
世論受けはこっちのほうがいいよね。
言葉って武器だから、その加害性を自覚しとかないと。

現在、家裁の審判レベルでは、月に1度2時間という面会交流の相場が固定化しつつある。
以前のように、「面会謝絶審判」を出すことには、世論の動きもあって家裁の側は反発を
受けるということを知っている。
(ちなみに、家裁で「共同親権」、「宗像」の名前は相当行きわたっているという
おそろしい情報がある。みんなの陳述書をせっせと書いた甲斐ありましたね)
月に1度なら、「会わせてやってるんだからいいでしょ」と別居親に説得できる。
たまには弁護士も別居親を説得してくる。
一方、同居親の側にも、「月に1回だけなんだから、そのくらい会わせてやれば」
と説得できる。
ちなみに、両者に何らかの問題がある場合は、隔月1回が、現在の相場である。
調停委員もこの相場のもとに、審判結果をほのめかし、調停をとりまとめようとするわけだ。

「最小面会」にするときの審判の理屈は主に
高葛藤、家庭の安定、子どもの年齢の3つである。
親どうしの対立関係が激しいときは面会制約の理由になる。
子どもが養子に入れられたりすると、家庭の安定が強調される。
子どもが小さいときは、頻繁に動かすのはと言い、子どもが大きくなれば
子どもの意思があるからと面会を制約する。

要するに、どうやっても、最後はそれが「子どもの福祉」だから
という説明で、「最小面会」に落ち着くというしかけになっている。
これを覆していくには、この「子どもの福祉」の中身を
子どもの権利の視点から変えていくということになる。
発達心理学的な海外の成果をあらゆる機会で紹介していくのも必要になってくる。

でも、最終的に「子どもの福祉」が裁判官の頭の中にある「イエ制度的発想」と
枠から外れた判例を出すことに抵抗がある官僚主義の中で、
「子どもの最善の利益」は「裁判所の最善の利益」に落ち着いていくというしかけにある。
敵はイエ制度と官僚主義だよね。
それは運動内部でも同じだけど、へへ。
posted by kネット君 at 10:24| 東京 ☁| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

用語集9「職権主義」は「職権濫用主義」

「職権主義」

訴訟手続きにおいて裁判所をその主宰者とし、裁判所に審判についての各種の権限を集中する原則。裁判長が訴訟指揮権や釈明権を多用して積極的に口を出し、注文を付け、裁判の主導権を握る。実体的真実の発見という要素の強い刑事訴訟では、職権主義の要素が強くなるが、家裁も同様に「職権主義」が採用される。
家裁の審判官は一人しかいないので、まるで「全能の神」のような存在になる。
裁判官の職権で丁寧な審理も可能だが、やろうと思えばいくらでも手を抜ける。

「当事者主義」

訴訟の開始、審判の対象の特定、証拠調べ、訴訟の進行や終了について当事者に主導権を与えること。原告と被告の両当事者の自主性と自由な法廷闘争に任せ、裁判長は極力口出しせずアンパイアに徹する。
民事訴訟は個々の権利利益の得喪変更に関するものだから、当事者主義が支配的(処分権主義・弁論主義)である。
現在家事審判法の改正作業が進んでいるが、家裁の運用を、「職権主義」から「当事者主義」に変えることも視野に入れていると聞く。

「職権主義」は「職権濫用主義」

家裁の審判官の権限を明記している家事審判法は、その第一条で法の目的として、「個人の尊厳と両性の本質的平等を基本として、家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ることを図ること」と定めている。
そうすると、あまり「権利の主張をするよりは」という発想になりやすいのかもしれない。
特に、子の監護については、「子どもの福祉」が水戸黄門の印籠のような役割を果たすので、裁判長がめんどくさければ、いくらでも証拠など無視できて、結果、監護親有利な取り決めや決定を出すことが可能になる。家裁の調停では書面の形式もどういうやりとりを当事者間でするかも、何の決まりもない。当事者が生意気なら、裁判官の職権で主張を無視して黙らせることも可能である。
「職権主義」は下手をすれば「職権濫用主義」にすぐ陥りやすい。
裁判官や調停委員の横暴は、いちいち指摘していかないと変わっていかない。

posted by kネット君 at 16:53| 東京 ☁| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

用語集8「養育費カンパ説」訂正版

「養育費カンパ説」

「親権のない親が養育費を払う場合、扶養控除に入れることはできない」
と以前していたが、法制度上は親権がない親でも扶養控除に入れることはできることがわかった。
要は婚姻時と同様、どちらかの親が控除に入れるので、同居親が子どもを扶養控除に入れてしまえば、実質的には別居親が控除に入れることができなくなるということのようだ。
現実的には「親権がなくなると扶養控除ができなくなる」というのとほぼ同義だが、離れてすんでいても、相手方との話がつけば、別居親が控除に入れることは可能だが、現実的にはそのようなことはレアケースである。
この場合、養育費はどういう扱いになるのかと考えると、子の養育のためのものと言いながらも、実はカンパみたいなもんじゃないのかというのが、別居親の間で議論になったことがある。見返りを求めず、子育てという意義に出資するもので、義務というニュアンスは制度上弱い。
そうすると、扶養控除に入れられなくても、寄付金控除に入れることができるのではないかという結論になる。しかし、実際には寄付金控除の対象になる団体は限定されているので、ここでも控除に入れることはできない。
他方、養育費を取る側は、不十分とは言いつつも、強制執行などの手続きが整えられてきた。
しかし、養育費の額を行政に申告するかどうかは、任意である。
義務性の弱いお金を強制執行で取ることには無理がある。
共同子育てが法的に保障されれば、経済上の分担もあらかじめ取り決められることになるから、控除の議論もあらためて仕切りなおすことになるはずだけれど、当面、現行制度のおかしさを指摘していくことはできる。
裁判とかも追及できるのではないだろうか。おそらく憲法24条「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という規定に抵触することになるはずだ。


「子ども手当て」

kネットでは、新内閣発足にあたり、「子ども手当て」について別居親の存在も前提にしつつ、総合的に子育て支援をするように、福島大臣と千葉大臣に申し入れた。
民主党は扶養控除をなくすと言っているが、養育費も払い、扶養控除は存続し、税金から「子ども手当て」が出ることになると、別居親にとっての経済的な負担は、所得の額以上のものになるだろう。
離婚家庭支援策は、別居親の養育負担も念頭に、総合的に考えていかないと、どうしても税制上も無理が生じる。こういった総合的な離婚家庭支援は、最終的には共同親権が実現しないと解消していかないのだろうけれど、それを待ってはいられないので、別居親が積極的に発言していくことが重要だろう。
posted by kネット君 at 12:06| 東京 ☁| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

用語集その7「別れたあとの共同子育て」

「別れたあとの共同子育て」

棚瀬一代『「クレイマー、クレイマー」以後」(1989年)のサブタイトルとして使われた言葉。
その後、あまり一般化していなかったけれど、法律用語の「共同監護」が当事者間でも使われるため、
普及しなかったというのもあると思う。
「共同監護」という言葉では、実際、世間的には何を言っているのかよくわからないけれど、この言葉であれば、離婚後に別居親が求めるものの中身の多様性を確保できるのではないかと、最近思っている。

「共同養育」

この言葉も最近当事者の中で使われる。
共同親権という言葉が、現在の親権概念の延長線では貧困さをぬぐえないことから、関西の矢野さんあたりは意識的に使っているようだ。
それでも、「養育」という言葉自体も、「養育費」という言葉に端的に表れるように、経済の問題として扱われてきた印象を否めず、用語としては窮屈な感じもする。
もちろん、「養育」には、子どもの人格形成に影響を持つものとして、単に金を出すということだけではない意味もあるわけなのだけれど、事実母子家庭側が、「養育」と強調するときは、「養育費」だったわけで、そうなると、別居親の父親は「会えなくっても黙って金を払っておけ」という論理がまかり通ってしまう。
別居親の母親の側になると、手元で子どもも育てられないのに、何を言う資格があるのということになってしまう。性差別が肯定されかねない。
「男は外で金を稼ぎ、女は家で家庭を守る」という論理を脱却するのに、「共同養育」という言葉は、多少守備範囲が狭いかなという印象はする。

「共同監護」

「監護権」は親権の中で「身上監護権」を意味するが、実際には、司法の中では「監護」は単に「身の回りの世話」という程度でとらえられている。
つまり「監護」は親だけができるというわけではない。
里親や、あるいは再婚家庭でも、「監護」はできるから、「子どもの福祉」のために、別居親の存在が排除されてきたのはそのためである。
この「監護」概念では、身の回りの世話に携わっていない父親が、離婚時に子どもを争った場合には、不利になるのは当然である。しかしその父親自身も、長時間労働で子育てにかかわりたくてもできないのかもしれない(あるいは、もともとそういう気がないのかもしれない)。
そもそも、親どうしの「子育て観」の違いによって、離婚に至る夫婦は多いのに、離婚後も一面的な裁判所の「監護」概念に別居親が擦り寄る必要もない。
実際上の「別れたあとの共同子育て」にどうかかわるかというのは、それでも親どうしのすりあわせが必要だろうけれど、別れた後に、自分が「子育て」にどうかかわっていくのかというのを、あらためて考える親は、同居親も別居親も多いのではないだろうか。
法律用語に振り回されるよりも、「別れたあとの共同子育て」をどう実現していくかという視点から、法制化も考えていかないと、結局当事者も、法律家の論理に振り回されていくことになるだろう。


「別居中の単独監護」

ちなみに、裁判所は別居中の監護について、766条を類推適用して「監護者指定」の審判をする。
親権から監護権を引けば、残るは財産管理権だけなのだから、こういった裁判所の運用は、事実上、婚姻中の共同親権すら裁判所が侵害しているということになる。
事実上、単独親権になってしまうのだから。
子どもを連れ去られて会えなくなった親は、法に定められた権利すら行使できない。
これは法制化以前の問題である。

こういった議論からは、「法律婚の保護」という夫婦別姓論議、つまり、戸籍制度につながる論点が浮かびあがっていくのだけれど、それは次回に譲りたい。

何しろ、法律家が法改正をするわけではなくて、法を法たらしめるのは、ぼくらである。
posted by kネット君 at 08:49| 東京 ☔| Comment(1) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

用語集その6「引き離し」

相手を変えようと思うのは、相手を利用しようと思うからで、
相手のことで思い悩むのは、相手に期待しているからで、
「みんな」ってつい言っちゃうのは、自分の意見に自信がないからじゃないの。

用語集はオリジナルのものは出し尽くしたので、既存のものを紹介していきたいと思います。

「引き離し」

離婚や別居で、同居親側の連れ去りや面会拒否で親子が会えなくなった状態を言う。児童相談所が子どもを保護するときも、この言葉が使われるようだ。
以前は、「会わせるべきかいなか」という同居親側の論理と別居親はたたかっていた。しかし、「引き離し」という言葉そのものによって「会わせない」ことに必然的にマイナスの価値が付与されたため、別居親子の離別の問題を、社会問題化し、また人権問題としてクローズアップすることに貢献した。
最初、ぼくもこれを聞いたときは、「大げさな」と思ったけれど、たしかに破壊力のある言葉である。
別居親当事者の中には、「引き離し歴○年」という使い方をする人もいる。

「面会交流」

他方で、別居親子の交流については「面会交流」という言葉が最近使われる。
例えばアメリカなどでは、離婚後の子どもの養育を指して「ペアレンティング」という言葉が使われるようだ。
「面会交流」という言葉自体も、離れた状態をどうつなぐのかという意味が付与されており、つまり、子どもの養育をどう分け合うか、担い合うかという感覚ではとらえにくいので、言葉としてはやはり一定の価値観に基づいた貧困さを伴う。
とはいえアメリカにおいても、ビジテーション(訪問権)という言葉から、別居親の権利が考えられていたように、日本の用語も後追いしているということなのかもしれない。
最近最高裁は、「面接交渉」という法律用語を「面会交流」に置き換えるようにしたとの情報がある。

「面接交渉」

別居親子の交流をさしての法律用語。
これを権利とみなすことには未だに裁判所には躊躇があるようで、「子どもの福祉」の観点からやすやすと制約されるのが裁判所判例のこれまでであった。民法に明文規定がないというのが大きい。
そもそも言葉自体が混乱を引き起こす。
「面接」するのかそのための「交渉」をするのか。ぼくも最初弁護士に聞いて確認したことがある。
「面接」というと就職試験を思い出すように、まだ「面会交流」のほうが当たりがいいので、言葉が置き換えられた理由もわかる。
posted by kネット君 at 11:18| 東京 ☁| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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