2009年07月14日

用語集その5「人質弁護」

「人質弁護」

子どもを片親から引き離した上で、子どもとの面会を取引材料にして離婚を迫ったり養育費の増額や慰謝料を求めたり、面会条件を有利に引き出そうとする人質取引で、弁護士が主体になって行われるものを言う。
相手方に弁護士がついた途端に別居親が子どもと会えなくなり、「人質弁護」がなされることも多い。

刑事事件で、容疑者の身柄を確保した上で、取調べで自白を強要したりする行為を人質司法と呼び、冤罪の温床になると人権派弁護士は批判し、日弁連も同じく批判してきた。
「人質弁護」は弁護士が主体になる人質取引としてこの「人質司法」を引き合いに出して名指した言葉。ある弁護士は、「言いえて妙」と言っていた。


「人質調停」

同様に子どもとの面会を取引材料にして行われる調停の席での人質取引を「人質調停」と呼ぶ。人質取引を行うのは、何も弁護士だけではない。


なぜ「人質弁護」がなされるのか

弁護士の仕事は依頼人の利益を最大限に引き出すことである。
単独親権制度のもと、子どもの身柄を確保した側の弁護士が、依頼人(多くは母子)の利益を引き出そうとすれば、当然、離婚後の安定した母子の生活のために、慰謝料や養育費をたくさんとることが目的となる。なにしろ母子家庭の経済的な苦境は当然にして予測できるのだから。もちろん、そうすれば弁護士の報酬も多くなる。いい弁護士であればあるほど、「人質弁護」をしてしまうという構造にある。
養育というものが「子育て」ではなく経済として考えられていたがために、別居親子の権利は軽視されてきた。したがって、まず弁護士たちが自分たちがやってきた行為の意味を捉え返すための言葉として、「人質弁護」は有効な武器である。
「人質調停」がなくなれば、別居中も子どもと会わせなければならなくなるはずで、そのためにはルールが必要ということになる。ガイドラインや法整備が必然的に求められていくことになる。
ちなみにこのような行為をアメリカでやれば、弁護士は懲戒の対象となるようだ。


人質取引は犯罪です

このような人質取引は、日本も批准している「人質をとる行為に関する国際条約」に違反していると考えられる。したがって犯罪である。
「第1条1 人を逮捕し又は拘禁し及び当該逮捕され又は拘禁された者(以下「人質」という。)の殺害、傷害又は拘禁の継続をもつて脅迫をする行為であつて、人質の解放のための明示的又は黙示的な条件として何らかの行為を行うこと又は行わないことを第三者(国、政府間国際機関、自然人若しくは法人又は人の集団)に対して強要する目的で行うものは、この条約にいう人質をとる行為とし、犯罪とする。
2 次の行為も、この条約において犯罪とする。
(a) 人質をとる行為の未遂
(b)人質をとる行為(未遂を含む。)に加担する行為」


posted by kネット君 at 17:54| 東京 ☀| Comment(3) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

用語集その4「原則交流 実質平等」

「原則交流 実質平等」

共同親権が実現しても、実際に会えるようになる親子は少ないのではという危惧がある。
この用語は、対等な立場としての理念としての共同親権とは別に、子どもの養育についての実質的な平等性について強調して用いた言葉。
「会わせないほうがいい場合は」という質問を受けることがよくある。それは同居親の側が会う会わせないを決めていい現在のルールを反映しての質問の仕方なのだけれど、それに対してははやはり、離婚後の子どもの養育は双方の親が担うのが原則であるという答えが必要であろう。
面会が制約されるのは、海外では児童虐待があった場合などであるそうだけれど、その場合でも完全に親子関係を絶つというのはめったになく、一定の監視下で慣れさせつつ、普通の面会交流に移行していくというのがパターンのようだ。夫婦間にDVがあった場合も、同様に注意深くなされるようだ。
どういう場合に面会が制約されるかは、離婚していない家庭でも児童虐待があれば親の権利について制約され、児童相談所に子どもが保護されることを考えると、同様の基準での適用が親の離別後も考えられるだろう。

例えば公民権運動によって、黒人が参政権を得た後、それでも差別は根強く下層社会から黒人が這い上がることは難しかった。
そこで、社会的地位の実質的な平等を目指して、就職や入学などについて人口比に応じた枠を設定して優先的に入れるという施策がアメリカではとられたことがあったようだけれど、これをアファーマティブ・アクションという。黒人の子どもの入学時には、警察官が護衛して学校に送り届けるということまでやったようだけれど、人権保障が国の役割だというのがよく自覚されているということなのだろう。
(この施策はその後、さまざまに議論されてきたけれど)

特に離別後の共同監護を考えるときに、「実質平等」を強調するなら、両方の親が子どもの養育に意欲を見せている場合、5:5の監護割合が権利として可能であることを理念として認めるということは必要なことだろうと思う。
フランスなどでは、1週間ごとに子どもが両親の間を行き来するということが実践としてなされているようだけれども、離別時において両親間の葛藤を高めないためにも、このような理念は重要である。
共同監護における実質平等の保障は、長い差別の歴史に対するアファーマティブ・アクションというわけ。

〈一言〉「なんか語呂いいよね」
posted by kネット君 at 10:11| 東京 ☁| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月09日

用語集その3「共同親権は平等親権」

「共同親権は平等親権」

「共同親権」という言葉を、親の権利の平等性という理念を強調して使った言葉。
つまり単独親権は不平等ということになる。

婚姻中共同親権

日本は戦前は婚姻中も単独親権だったわけで、親権は家長、つまり男にあった。
だから戦後高度成長の時代までは、離婚後の親権が男に行く割合が高かった。経済力のない女性は監護権を得て子育てしても、子どもは家のものだから男が金を出し親権を持ち続けるという理屈なのだろう。
戦後日本が婚姻中共同親権となったのは、憲法の男女平等原則と法律婚保護の原則を戦前民法に適用した結果というのが実状のようだ。
つまり、戦後の単独親権で意味があるのは、双方の親が子どもの養育を押し付けあったときに、責任者を決めるというときくらいで、それ以外で合理性があるというわけではない。
双方の親が子どもの奪い合いをしているときに、単独親権の弊害が指摘されるのは、法があまり想定していない事態だからということができる。

ところで、婚姻中になされる一方の親による子の連れ去りは、婚姻中の共同親権すら、日本の法運用や裁判実務で守れないことを言い表している。
民法上の居所指定権や監護権の共同行使を、子の連れ去りによって一方の親が侵害しているにもかかわらず、何らそれをとがめる法律もなく、むしろ裁判所は2回目の連れ去りを犯罪にすることで、連れ去りを助長している。警察の対応もあまり変わらない。
婚姻中の親権行使の平等性が保障されないのに、いわんや離婚後をやだ。

「親権がなくなると親じゃなくなる」

ところで親権と親の権利というのは実際はズレがある。
だから「共同親権」は「平等親権」というとやや語彙としては貧しい。
親権の中身にそんな規定がないのに、親の権利の存在を裁判所も認めているので裁判実務で離婚後の面接交渉調停が可能になるのにはそういう理屈がある。親権者変更もできる。
だから、「親権がなくなると親じゃなくなる」という会えない親のレトリックは、厳密ではない。
しかし実際には、たとえ面接交渉調停を起こしたとしても、権利の実現を義務者に負わせているような現在の法運用と裁判実務の実状では、法的にどうかはともかく、「親権がなくなると親じゃなくなる」というのはあながち間違っていない。どころかむしろ強調したほうがいいと思う。
それは法的な文言においても同様である。
親権の中身は、居所指定権や監護権、財産管理権、懲戒権などが含まれる。
何だか動物園のトラを扱うようなものだ。調教が必要っていうわけ。
それでも、別居・離婚後にこれらの権利を行使できるかといえば、相手が拒否的である場合、財産管理権以外は事実上無理なわけで、親の権利が子の支配権であるという問題性を差し引いても、別居親には権利行使の道筋が事実上何ら残されていない。
死んだら相続が子に行くくらいである。子どもが死んだら知らせも来ない。生きているか死んでいるかもわからないのだ。
「親の権利」と言ったときに子どもの成長にかかわることというのは権利性としてはあまり考えられてこなかった。しかし事実上無権理状態である中で、親の権利ではなくむしろ子どもの福祉だけを強調するほど、ぼくは物分りがよくない。
だいたいが「子どもの福祉」という言葉で、別居親は子どもに会えなくさせられてきたからだ。
親の権利が守れなくて、子どもの権利が守れるの。
子どもとの関係性を考える中で、親の権利の実現を求めていこう。

〈一言〉「運動すんの、しんけんよだきい」(大分弁)
日本語訳「運動するの、とってもめんどっちい」

posted by kネット君 at 10:06| 東京 ☀| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

用語集その2「別居親差別」

「別居親差別」

子どもと暮らす親のことを「同居親」
子どもと離れて暮らす親のことを「別居親」
と最近では言うらしい。

「別居親差別」とは、別居親であるがゆえに受ける不当な扱いのことを言う。
たとえば、「会わせてもらえないなんて、よっぽどひどいことしたんじゃない」なんてよくある会話は差別だ。言った本人は気づいていないので指摘しよう。
別居親が子どもに会えないのは、当事者どうしの問題がたとえあったとしても、法制度や社会構造、「先に取った者の勝ち」という野蛮なルールに多く原因があり、その点についての認識が欠けていると、上記のような社会認識が形成される。
「私が子どもに会えないのは、社会の側、つまりあなたたちの問題なんです」
というのを口に出せれば、そこから運動は始まる。何もデモや集会をすることだけが運動じゃない。

「会えない親」にも「会わせない親」にもそれぞれ理屈があって、それを言い合っていてもしょうがない。夫婦喧嘩を別れた後に再現するだけだからだ。
比べるとしたら、離婚していない家庭と、離婚した家庭の親子関係であって、離婚していない家庭の場合、たとえ親がハチャメチャであっても(夫婦間関係にも葛藤はつきものだ)、それで会えないなんてことはない。別居親の子どもへのアクセスの制約の理由は、物理的なものは(離れて暮らすからいつもいっしょにいれるわけではない。それはいっしょに暮らしていても似ているけれど)ありうるとしても、それ以外の部分は、大方根拠がない。
監護を5対5で分け合う共同監護の場合、そもそも「同居親」、「別居親」という区分すら意味がなくなるだろう。
「シングルマザー」、「シングルファーザー」という言葉も、共同監護が一般的になれば、あまり有効な呼び名とは言いがたくなる。


「非親権親差別」

親権のない親に対する差別として、最初に考えた言葉だけれど、あんまり座りがよくないので、「別居親差別」をほかの人が言い出したのでそっちを使うようにした。
ただ、親権のない親が不当な扱いを受けるというのは、この言葉で言い当てられる。
会えない親が、会わせない親に、「あなた私と平等だとでも思っているの」と言われたというのを聞いたことがあるけれど、これなど、法制度が人間関係の差別を合理化することの典型例だ。


会えない母親への差別

別居親の中でも、母親の受ける社会の風当たりは、父親よりも強いようだ。
父親のほうは、子どもに会えなくても黙って養育費を払い続ける姿というのが、いいとは思わないけれど、ある程度社会的な認知もあった。
別れた後、母親が子どもをひきとるというのが一般的だったからだ。
必然的に、一般的でない母親の側は、普通は女が子どもを引き取るのに、「どうして子どもを引き受けなかったの(あなたのほうがよっぽどひどいことしたんじゃない)」、「私だったら子どもを連れて出るわよ(だからそれができないあなたは母親失格よ)」というのを、同じ女性に言われるということがよくあるようだ。
会えない母親は二重に差別を受けている。

こういった差別の実態をデータも裏付けている。

東京家庭裁判所で未成年の子を持つ夫婦関係調整事件で離婚が成立した400件のケースに対して行われたアンケート調査の結果(1973年)、別居親と子どもとの交流状況は、別居親が父親の場合、21.1%であるのに対し、別居親が母親の場合、8.7%に過ぎない(うち父親が公認しての交流はわずか1件)。
「ニコニコ離婚講座」会員への郵送調査(1987年)では、離婚後の親子交流の状況は、父親が29%、母親が15%と大きな開きがある。
(以上、棚瀬一代『虐待と離婚の心的外傷』から)

こういったデータ結果は、「追い出し婚」というものを公認していたことに典型的に現れるように、家制度の影響を強く受けたものだろう。
現在においても、別居親の当事者グループで、実際の監護の割合に比して比較的女性の割合が高いのには、以上のような差別が反映しているものと推測される。

〈一言〉「運動って疲れるよね。スポーツじゃないよ」

posted by kネット君 at 08:12| 東京 ☔| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

その1「共同親権運動」

引き離し用語を紹介していきます。

「共同親権運動」

これまで離婚後の親子交流とか、面会交流を求める動きとか、決まった用語のなかった運動を離別後の親どうしの不平等に着目して呼びなおしたもの。

この呼び名であれば、面会交流と養育費がバーター関係に投げ込まれることはない。

別居親の立場は、たとえて言えば、公民権運動時の黒人や、戦前参政権のない女性の立場に似ている。親として認められ、義務は課せられても、実際の政治(離婚後の子の養育)に口を出す権利は保障されていない。
女性が大人としては一人前扱いされていなかったように、今の別居親も実際には親としては半人前以下の扱いしかされない。
この不平等をまず解消し、双方の親が子の成長、養育にかかわる(つまり別居親が子の成長にきちんとかかわる)ことを求める運動が、「共同親権運動」である。

〈一言〉「ムーブメントしようよ!」

posted by kネット君 at 19:21| 東京 🌁| Comment(0) | 引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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