2011年08月19日

雨の東京

猛暑の中、久しぶりに雨が降り、
今日はクーラーなしでもしのぎやすかった。

今日まで一週間、原稿を書いて過ごしていた。
現金なもので、お金になる原稿に集中している間、
お金にならない文章は、あまりというかほとんど
書こうという意欲がなくなる。ブログも同じだ。

とはいえ、せっせと文章をこしらえたので、
編集長が1ページ増やしてくれた。

このところ、相談の問い合わせは窓口を分けたので、
あまりぼくのところで受けることはなくなったのだけれど
活動についての問い合わせはちょくちょくある。
何もしていなかったわけではなくって、
けっこう一人でせこせこと作業をしていた。
先週、それも完成。今週は別の1本を完成させようと思う。

きょうは、以前からときどき電話が来ていた人から
1件相談。
もう1件電話が入って、これは弁護士を紹介した方だった。
それぞれに動きがある。

ハーグ条約が話題になっているせいか国際離婚がらみがちょこちょこくる。
日本が条約に加盟していないために、他国で面会交流するにおいて
監視がついたりすごくやりにくくなっているという話は聞く。
アメリカでは、日本人だけ監護権がとれなくなっているという。

ほんとに日本人を見たら誘拐犯だと思え、
というのが国際的にはスタンダードになっているのだろう。
おそろしい。

雨が降り続く。
山の雑誌の編集部に行って、

「黒い雨ですよね。
放射性物質とか言わないで、死の灰って言えばわかりやすいのに。
あと、原子力発電じゃなくって、核発電って言うべきだとぼくは
思うんですよねえ」

って言ったら、笑ってくれた。


posted by kネット君 at 21:50| 東京 ☔| Comment(1) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

面会交流に協力は前提仮説

裁判所宛の意見書で
タイトルの仮説について以下のような反論をしてみた
ほかでもどんどん使っていって
日本の面会交流を近代化しましょう。


特に法曹関係者の間では、面会交流については、最低限の協力関係がその前提との仮説があります。しかし多くのケースを見た上で、このような仮説は、現実の面会交流に即したものではありません。
 第一に、特段別居親の側が協力の意図を示していたとしても、それが同居親の側の感情に沿わない内容であれば、協力関係を築くことはできず、結局は同居親の側の意向で面会交流が途絶えてしまうということを容認してしまう結果になります。そのことを「子どもの福祉」と呼ぶことには無理があります。
 第二に、関係の難しい第三者どうしの共同作業においては、詳細な契約が通常必要であることは法律家であるなら誰もが知っていることであって、離婚後の養育負担のシェアにおいてだけそのことが当てはまらない理由はありません。協力関係を前提にした面会交流の実施という前提に立った曖昧な合意書の内容で、面会交流がうまくいかなくなるのは、必然的な帰結です。もちろん、詳細な面会交流の取り決めをしたからといって、その通りにならない場合もあるし、柔軟な面会交流に移行していく場合もあるでしょう。しかしトラブルが起こりやすいからこそ、基準としての詳細な取り決めが必要であり、協力関係が取り決めの前提になるというのは、会えなくなってもしかたがないという前提の暴論です。
 第三に、協力関係が面会交流の前提であるという仮説のイメージする面会交流は、子育ての詳細において両者が話し合える関係を想定していますが、話し合いのつかないケースが家裁に持ち込まれるのである以上、家裁でこのような仮説を云々することは家裁の役割放棄でもあります。特に、共同養育の先進国であるアメリカにおいても、実際に育児の詳細においてまで共同決定し協力できるパートナーは多数派ではなく、多くの親が、自分が養育を受け持つ時間だけ、その責任を負う平行養育をしているのが現状です。詳細な契約と十分な養育時間が双方の親に配分されれば、これは日本でも可能であって、むしろ限定的な面会交流の取り決めで双方の養育環境を劣化されることには慎重であるべきです。 
posted by kネット君 at 07:51| 東京 ☀| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

さまざまなやりとり

実質勝利

昨日、電話がかかってきて
友だちの一人が、離婚裁判で争っていたのが
和解に持ち込んで、実質勝利したということだった。
その過程ではDVをでっち上げられたりしていたので
離婚で親権を剥奪されるのを防げたことは大きな勝利だったろうか

陳述書を書く


以前から頼まれていた陳述書を
屋久島から帰ってきたから今日せっせとこしらえた。
「面会交流には最低限の協力が必要」という
法曹業界の非常識な慣行に、実例を挙げながら反論した。

そもそも仲の良くない第三者どうしが共同事業をするにおいては
詳細な契約が必要だというのは、法律家であればだれでも知っているはずだ。
それがどうして面会交流においてだけ例外になるのか、
きちんとした説明を聞いたためしがない。
その上に、共同作業と言っても、自分のところに子どもをあずかっている場合にのみ
責任を持つという分担制なわけで、合弁企業の人材交流や技術交流とはわけがちがう。

なんてことはちょっと考えればわかるはずなのだけれど、
そんな理屈が通らないのが法律村の掟。
ばかばかしいが、いちいち理屈をあげて反論した。
どんどん書きますので、言ってください。

別の裁判


の期日だった人は、あまりうまくいかなかったのか
がっかりして電話がかかってきた。
「今日は大安のはずなのに」ついていないということのようだ。
毎日毎日、離婚と子どもの問題で、たくさんのドラマが
生まれているのだろう。

交流

別の当事者は、祖父母と子どもとの交流で進展があったようだった。
進展といっても、いい結果も悪い結果も、長期的に見ればどれも
進展なのかもしれない。それをどうやっていい親子関係に持って行くかは
最終的には面会交流の問題とは別の問題に移行していくことだろう。
とはいえ、現状抱えている問題は、
片親疎外の深い闇なわけだ。
posted by kネット君 at 20:58| 東京 ☀| Comment(2) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月09日

屋久島に行ってた

仕事で屋久島に行っていた。

行き帰りに、大阪に寄ったのだけれど、
大阪では相談も受けて、そのうち大阪で
グループワークとかできたらなと思う。

屋久島では台風の接近と重なって、
大雨と大風の日に登山をした。
雨が痛い、風で吹き飛ばされそう。
そんな日でも、ほかにも登山している人がいる。

バスの時刻は全然登山とはマッチしていなくって、
入山したのが11時過ぎ、嵐の中、
ほかの登山者をぶっちぎりで追い抜いて、
山小屋には、最初に入る。
こんな日に登る経験者ってあんまりいないのだろうか。

登山をはじめてしばらくしたところにある山小屋で
別のガイド登山の人と会う。
「時間も遅いし、ここまでどのくらいかかったの。
脅す訳じゃないけど、単独で過去死んだ人もいるよ」

とやさしく脅してくれた。

「ありがとうございます」

と答えるのだけれど、
だいたいにおいて、こういう経験者の忠告って余計なお世話というか
なんで指導したがるんだろうなってよく思う。

とはいえ、たしかに山頂付近の状況はまともに歩ける状況ではなくて
事故っていれば、「あのときの忠告を聞いておけばよかったね」
って思ったと思う。

翌日、
縄文杉を見て下山した。
今回は、このルートの混み具合を取材に来たのだ。
震災の影響か、今年はお客さんが少なく、さして混んでいるようでも
なかったのだけれど、下山したときにはほっとした。

震災離婚


喫茶店で読んだ週間文春のコラムで
震災離婚について書かれていた。

震災2日目で、「この名前で死にたくないから」と
別れを切り出されたというのだ。
東京新聞では、原発離婚というのがあった。
母親が放射線の危険について勉強してきて
気にせずに地元で仕事を続けたがる父親は離婚を言い出す。
子どもは父親の側についていた。

一方で、
震災結婚というのもあって、
なんだか、最近、周りには結婚話が多い。

どっちも幸せになるための選択なのだろうけれど、
この国で結婚するって言うことは、
子どもと会えなくなるリスクを負うということ、
そのこともいっしょに紹介して欲しいよね。

なんてことを考えなくてすむ一週間はとってもお気楽。
posted by kネット君 at 09:06| 東京 ☀| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

日弁連に要望書を持っていく

日弁連要望書

昨日、日弁連宛に要望書を持っていった。

今回も要望をいろいろ書いたのだけれど、
まあ好きにさせてもらえる団体ってkネットだから
今回はkネットだけでいいかなって。
要望書は回覧していたので、
校正後に時間が余ったので持って行った。

日弁連に行くと、
いつも対応していただく家事法制委員会の事務の方と違って、
両性の平等委員会の事務の人が出てきた。
どちらにしても弁護士ではない。
前回は複数で持って行って、いろいろ不満を言うという形式だけれど、今回は一人で行った。
最近は、人を調整していくというより、一人で行って
その方とじっくり話すほうが相手の印象に残ると思ってきた。

「いつもちゃんと回答してくれなくって、悲しいんですよね。
誰か責任ある方が出てきてくれたらいいのに」

とか、いろいろ雑談と笑い交じりに会話した。

「1月後に電話しますから、ちゃんと誰か出てきてくださいよ」
って言い置いてきた。
1回で成果が出るとは思っていなかったが、
だれかと会うのにそれでも3年もかかるとも思っていなかった。
相手が変わるには、こちらがそれだけのことをしなければならない、
とはわかっていても、ちょっと力量不足という感はする。

法制化は時間がかかる


最近、ハーグ条約の問題で、議論が各論に入っていって、
あまりその経過が見えない。
DVの問題とかで相変わらず議論になるなあって思う。

でっちあげされるのは許し難いよなあって思う。
一方で、じゃあDVの被害者支援がうまくいっているかという話もあまり聞かない。

共同親権の問題でも民法改正の議論はなかなか進まない。
そもそも別姓や婚外子差別の問題もすごく時間がかかっている。

それぞれの問題に取り組む人たちがそれぞれの問題が重要って言っていて、
ときどき利害がぶつかるところがあって、そこで対立したりする。
それで足の引っ張り合いになって、どの問題もなかなか前に進まない。

ぼくは思うのだけれど、
別姓や婚外子差別の問題やDVの被害者支援とかでも、
やり方がどうとかいう議論ももちろんあるのだけれど、
もっと、ぼくらがそのことについて理解していて解決に主体的に取り組んでいたら、
もうちょっと現状はいいほうに変わっていたという気がしもする。
そのときに引き離しの問題はもうちょっと理解されていたのかなあという気もする。
あるいは、もっと早く手が打たれていたり、解決が進んでいたりしたのかなあと。

家庭の問題は女子どもの問題っていう考え方は男の人には多くって、
ぼくもそういう部分があったというのは今振り返れば思いもして反省もする。
他の家族の問題について、まったく理解してこなかった人たちが
急に子どもに会えなくなってつらいんです、ってそれが理不尽だって言っても、
じゃあ私たちが言っていた問題って、どうなのっていう反応はぼくだったらする気がする。

反対に筋が通らなかったり構造の部分があるにしても、
そういうふうに言いたくもなる気持ちってなんだろうねって
聞いてみたいという気もするのだ。

だって反対している人たちがいるにして
その人たちが消えてしまうわけでもなく、
変わってくれるということであれば、
こちらがそれだけのことをしなければならない。
その人たちがちょっと変わってみようかなって
ぼくらの側が思われるだけの力量や魅力が
まだまだぼくらには欠けているということだ。
posted by kネット君 at 19:35| 東京 ☁| Comment(0) | むーみん谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
knet_logo_color[1].PNG
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。